食べ方

柿の葉すし・ゐざさ寿司の味わい方

奈良吉野・大台ケ原発祥の名産グルメ「ゐざさ」の柿の葉すし。橿原神宮献上の品としてお遣いいただいているのには理由がありました。昔から、健康を願う人の手から手へ、伝えられてきたこのお寿司をもっと深く味わっていただくために、歴史や健康のこと、食べ方の演出などについて、ちょっとしたヒント集を作ってみました。どうぞお召し上がりください。

どんな時に食べるともっと美味しい?
ちょっとした演出でもっと美味しい、楽しみ方・味わい方

  • お取り寄せグルメの日本代表といえば、やっぱりお寿司。ご飯や魚、それに野菜まで、子供たちが大喜びで食べてくれるのもお寿司のパワーです。柿の葉すしは昔から、奈良の家庭ではちょっとした集まりによく供されてきました。今で言うならホームパーティというところでしょう。葉でくるまれているから、手間いらずでさっと盛りつけられて楽しめる柿の葉すしは、子供たちの集まりにはぴったりです。
    柿の葉すしは、葉をとるまで中身が何か分からないのがパーティならではの楽しみのひとつ。「あ、鮭だ!」「こっちはタイ!」。柿の葉をめくるたびに起こる子供たちの歓声。競うように食べてくれる姿は見ているだけでうれしくなる光景です。
    子供たちがたくさん集まるお誕生日パーティなら、さらにちょっと演出を。「お寿司の葉をめくったところに3つだけ、当りを入れてあります。当たった人にはプレゼント!」。誰かが当りを引くたびにわっと輝く子供たちの目。柿の葉すしならではの、心温かなパーティをお楽しみください。
    お寿司がどうして柿の葉でくるまれているのでしょう? 柿の葉に含まれる苦味の成分タンニンに殺菌作用があり、お寿司を日もちさせる効果があると言われていますが、それだけではありません。柿の葉やゐざさ寿司の笹の葉は、素材の魚の臭いをそのさわやかな香りで包み込み、とても食べやすくしてくれます。
    もう1つの葉の役割は彩りです。柿の葉の落ち着いた緑、笹の若々しさ、その緑色を開くと、鮭の鮮やかなピンク色が現れるコントラストの妙。ホームパーティにとても良い彩りを添えてくれることでしょう。
  • 奈良・吉野に天皇がおられた時代があったこと、ご存知ですか? そう、鎌倉末から室町初期にかかる1300年代、後醍醐天皇が吉野に移って始まった南北朝時代です。南朝の皇子・自天王のお心を慰めるために供されたのが、鯖を使ったお寿司だったとか。南北朝はやがて合一、自天王が目指した南朝再興はついにかないませんでした。そんな歴史の舞台に、熊野灘から歴史街道を通ってもたらされた鯖のお寿司があったなんて、歴史のロマンを感じずにはおられません。
    以来、吉野の名物として親しまれてきたのが柿の葉すし。吉野は実は鮭でも有名でした。山ばかりの町にどうして鮭が? 吉野と言えば林業の町。林業が盛んだった時代には人口も多く、若い力自慢が集まった活気あふれる町だったのです。全国各地の取引先からは高価な贈り物が届けられます。吉野に送って喜ばれる、保存がきく高価な魚といえば、そう、新巻鮭ですね。その頃から、家庭のお寿司にも鮭が使われることが多かったそうです。
    そうした活気の中で生まれた柿の葉すしやゐざさ寿司。大台ケ原の笹の緑と鮭のピンクのコントラストが、お雛さまのように美しく縁起が良いと、結婚式などの縁起物にも供されるようになり、ついには奈良・橿原神宮にも献上されるようになったのです。
    笹や柿の葉がもつ健康や長もちの効果、魚の旨味を熟成する力が、縁起の良さを求める人々の気持ちと結びついたのでしょう。今も、ご長寿や婚礼の祝いの宴には欠かせないものとして、吉野の人々に親しまれています。柿の葉すしの歴史や縁起のこと、皆さまもぜひ祝いの席で思い出しながら味わってみてください。

どうして柿の葉すしが奈良・吉野の名産に?
知っておくともっと美味しい、歴史と健康のヒミツ

  • 長い間、肉を食べなかった日本人にとって大切なたんぱく源と言えば魚でした。奈良・吉野に南朝があった昔、天皇に捧げる魚は、熊野灘でとれた鯖を、熊野街道から大台ケ原を経て届けていました。熊野で浜塩をうち、険しい山道をていねいに運ばれた魚の鮮やかな身。
    吉野の柿の葉の殺菌力がそれをサポートするようになっていきます。葉のもつ成分には、魚の身をうまく絞まらせ、熟成させる力がありました。また、林業華やかなりしころ、全国の取引先から吉野には高価な新巻鮭が届けられ、祝いの席にはその紅い身が縁起物として尊ばれてきました。海のない吉野だからこそ、大切に、長く味わうものとして魚料理を工夫してきた人々の知恵が、柿の葉すし、ゐざさ寿司にはつまっているのです。
    今も伝統を守り、微妙な塩加減で仕上げられた魚を、じっくりと味わっていただきたいものです。
  • ゐざさ寿司は、絶妙な塩加減に仕上げられた魚と、彩りを添える笹の葉で知られていますが、もう1つの主役はお米です。
    林業が盛んだったころ、吉野には屈強な若者たちが集まり、お米の販売量も相当なものだったと言います。大正10年、奈良県吉野大台ケ原・上北山村に、中谷勘市郎が創業した中谷商店は、実は、林業者を支える米屋として誕生したのです。当初から勘市郎の米へのこだわりは強いものがありました。その妻・キクエの炊くふっくらとしたご飯は評判で、おにぎりにしても美味しいと人気だったのです。お祭りなどで近所の人にもふるまったお寿司は、特別うまいと言われていました。
    中谷商店は、美味しくお米を食べていただくところから出発しているのです。だから、米屋の一方で早くからお寿司づくりにも取り組み、戦後にはお惣菜、おにぎりなどを手がけるようになっていきます。今でも東急渋谷駅におにぎり専門店を「笹八」の名で出しているぐらい、お米は中谷本舗の自慢なのです。
    ゐざさのお寿司で使っているお米の炊き方は、大正以来のこだわりそのものです。固すぎず柔らかすぎず、ふっくらとしながら魚や葉の風味をたっぷり吸った旨味加減。その口どけの良さを、ぜひご賞味ください。

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