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伝統寿司Traditional Sushi

ゐざさ 未来への歩み
〜Traditional Sushiを世界へ発信〜


 南北に長く、四季が明確な日本には多様で豊かな自然があり、 そこで生まれた食文化もまた、これに寄り添うように育まれてきました。 このような、「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」に関する「習わし」を、 「和食;日本人の伝統的な食文化」と題して、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。

 世界的にも注目が高まる日本食の中でも、「Sushi」は誰もが知る存在となりつつあります。 その多くは握り寿司を指しますが、寿司の歴史を紐解けば江戸時代に誕生した ごく新しいものです。その原点は縄文時代に稲作と共に伝来したとされる「なれずし」であり、 そこから日本の各地で発展した様々な伝統的なお寿司が存在します。 柿の葉寿司やさば鮨などもその一つです。

寿司文化伝承「伝統寿司-Traditional Sushi-」

ゐざさは伝統の寿司文化を全国から訪れる人々にお持ち帰りいただきたい。
さらには世界へと発信していきたいと願っております。


  • ふなずし
     寿司の原点は今で言う<なれずし>とされています。なれずしとは米や麦などの穀物を炊き上げたものの中に魚等を詰め込んで、その乳酸菌の働きで乳酸発酵させた発酵食品の一種です。熟れ鮨は発祥の地であったとされる東南アジアから中国へと伝播し、日本には縄文時代の後期に稲作と共に伝わってきたと考えられています。
     室町時代以降に入るといよいよ私たちの知っている寿司の原型が姿を現します。 乳酸発酵を伴うなれずしは、その発酵熟成に数ヶ月以上を費やしてしまいます。 その為か、発酵がまだ充分進んでおらず、米の原型を留まっている状態でなれずしを食べるようになり(生なれずし)、酢が工業的に作られだした時代には乳酸発酵による酸っぱさを酢で代用するようになっていきました。これを<早ずし>といいます。
     酢を使った早ずしの登場は現在の押し寿司の原点である箱寿司に発展しました。箱寿司は木の箱を使い、押して作る大阪発祥の寿司で、天保12年創業の老舗吉野寿司の三代目がたいやえび、あなごなどの素材を用いた高級志向の寿司として考案したのが始まりとされています。
     押し寿司は酢飯と具を重ね、力をかけて押した早ずし。大阪府のバッテラや京都府の鯖の棒寿司、奈良県の柿の葉寿司や鮎寿司、富山県の鱒寿司などが各地の伝統寿司として今も親しまれています。これを原型として、江戸ではより手早く食べられる握り寿司が発展していったのです。
  • ふなずし
     すっかり大和の名物として、全国的に知られるようになった柿の葉すしですが、奈良全域ではなく、主に吉野地方を中心につくられます。なぜ、海のない奈良県、それも高い山の谷筋や盆地の村に発達したのでしょう。実は奈良県だけではなく、紀伊半島の山間部にも柿の葉すしの産地が点在。柿の葉すしは、いまでも東熊野街道沿、奈良県吉野郡の、上北山村、川上村、東吉野村、吉野町などで、広く作られます。
     江戸時代ともなると、熊野灘で獲れた鯖は、しっかり浜塩をして、いろんなルートで遠隔地にも運ばれるようになりました。東熊野街道沿いの村には、人が背中に塩鯖を負い、名だたる山道や谷の難所を越えて運ばれますが、伯母峰峠を越えた川上村まで、二日程度で運ばれたそうです。浜塩というのは、大量の塩を魚の腹に詰めこみ、魚が傷むのを遅らせる保存法ですが、この地域についたころには、ちょうどいい加減の塩鯖ができていたというわけです。東熊野街道は、さば街道ともいえますね。
     若狭の鯖に塩をして夜通し走って運んだところから生まれたという京の鯖ずし。鯖街道、鯖ずしといえば、京都と思われがちですが、実は紀伊半島の山間部にも鯖ずしの産地が多く、熊野灘の鯖をつかったこちらのほうが発祥の地だという説もあるのです。山間部に発達し、塩鯖を使うという意味では、柿の葉すしも、この系譜に位置づけられます。
     その起源は「江戸中期に紀州の殿様が熊野の漁師に重い年貢を課したことから、漁師はそのお金をひねり出すために、夏サバを塩で締め、吉野川筋の村に売りに出掛けた」という話もあります。熊野灘では、サンマとともに鯖もよく獲れましたが、熊野のサンマずしは有名ですが、鯖ずしはあまり作られません。もしかしたら、鯖は大切な商品として、売りに出されることが多かったとも考えられます。
     1712年(正徳2年)頃出版された日本の百科事典ともいえる『和漢三才図絵』には、元禄の頃に、今井(現在の橿原市今井町)で、鯖ずしが名物だったとの記述があります。熊野から、北山川沿いの東熊野街道を通り、伯母峰峠を越えて、吉野を経て、今井まで約22里(88キロ)。鯖の塩加減からいうと、このあたりへ運ぶのが、最北の到達地点かもしれません。
  • ふなずし
     柿の葉すしのはじまりは、酢をつかわずに発酵させて酸味をつくる<生なれずし>でした。浜塩をした鯖を薄くそぎ、ご飯を大きく握ったものを抱かせ、どこの家にも植えられていた渋柿の初夏の青々とした葉で包む。1枚の葉では包みきれない場合は、葉を2枚で包むこともありました。それを四角い木の寿司桶に隙間なく入れ、重石をおき、1ヶ月ほど熟成させると酸味が生まれ、すしができたというわけです。 柿の葉に含まれるタンニンには、抗菌作用や防腐作用、蛋白質を凝固させる性質もあって、サバの身を締めてくれます。また柿の葉の香りは魚臭みを消す作用をするなど、さまざまな効用があり、先人の知恵に感心させられます。山里にあっては、白いご飯も鯖も貴重なもの、ハレの日の贅沢なご馳走でした。
     しかし、現代的な嗜好でいうと、ちょっとしょっぱいおすしだったかもしれません。作るのに時間も手間もかかり、祭りの日から逆算して漬け込まなくてはなりませんし、その年の気候によっては、微妙に調節が必要でした。どの家にも代々のノウハウや言い伝えなどがあったことでしょう。いつのころからか、次第にごはんに酢を使った簡便なものになっていきましたが、「ついこの間まで、酢はつかわなかった」という話は聞いても、それがいつの時期のことかは不明です。その言葉自体が言い伝えのひとつかもしれません。
     昭和に入った頃から、この地域では、村々で夏祭りや秋祭りにそなえて、どの家庭でも柿の葉すしをしこみ、互いの味を賞味しあったものでしたが、すでにごはんにも鯖にも、酢をつかったものが普通だったと思われます。でも柿の葉すし専用の木桶にいれて重石を置き、一晩ほど寝かせるなどして、味の調和をはかりました。
    柿の葉すしの専門店でも、少し押してなれさせていたのは、やはり昭和に入った頃のことでしょうか。そのかわりに、塩分を少なくし、独自の工夫で美味しさを追求した風味になり、魚も鯖だけではなく、鮭をつかったものなどバラエティにとむようになりました。大きさも、昔各家庭でつくっていたものにくらべ、一口サイズの小さく洗練されたものが今風です。
     そうした現代に即した変遷を経て、柿の葉すしは駅弁大会などのイベントや百貨店でのお取り扱いによって広く日本全国で知っていただけるようになりました。
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