ゐざさ寿司の由来や歴史、
こだわりについて

ゐざさ寿司イメージ

ゐざさ寿司の由来

天を突くばかりの峰々、深い谷川…ゐざさのふるさとは、奥吉野・大台ケ原のふもとです。その山々を分け入って、大台ケ原ドライブウェイができたのは昭和36年のこと。米屋を営んでいた上北山村の中谷家では、地域の名産寿司を作ろうと、米を選び、炊き方や酢の味を工夫してどこにもない笹の巻き方を考えました。そうして完成したのが、みずみずしい笹の葉から赤い鮭がちょこんとのぞく、お雛様のように愛らしく、慶事にも喜ばれる美しい笹寿司でした。

ゐざさ寿司揮毫

ゐざさ寿司の命名

この笹寿司を気に入られたのが、後年、東大寺管長を務められた 清水公照師。この地に伝わる伝説、笹をまとった大猪の姿をした神様 〈ゐざさ王〉 にちなんで、お寿司の名を、〈ゐざさ寿司〉 と命名。揮毫もしていただきました。ここに、まことに雄大な大台ケ原を象徴する名前と味わいの名産寿司が誕生したのでした。

山里で生まれた鮭の笹巻き寿司

 鯖は東熊野街道を経由した熊野灘からの恵み、では鮭はどういった経緯で使われるようになったのでしょう?吉野と言えば林業の町。林業が盛んだった時代には人口も多く、若い力自慢が集まった活気あふれる町だったのです。全国各地の取引先からは高価な贈り物が届けられます。吉野に送って喜ばれる、保存がきく高価な魚といえば、そう、新巻鮭ですね。その頃から、家庭のお寿司にも鮭が使われることが多かったそうです。

東熊野街道図

 今でも鯖や鮭のお寿司はご長寿や婚礼の祝いの宴には欠かせないものとして、吉野の人々に親しまれています。吉野の山里、上北山村で生まれた鮭の笹巻き寿司「ゐざさ寿司」。ぜひ一度味わってみてください。