吉野山の桜をお寿司で表現した創作寿司
そのこだわりと吉野山の桜について

吉野の桜_滝桜千本

一目千本吉野山

『これはこれはとばかり花の吉野山』 と安原貞室が詠んだように、吉野山の桜は、 尾根から谷を埋め、爛漫と咲き誇る その見事さで広く知られています。 日を追って、下千本・中千本・上千本・ 奥千本へと山脈をはい上るように開花して、桜をとりまく杉木立の中に 豪華な絵巻がくりひろげられます。

吉野桜寿司5種類イメージ

吉野桜寿司の楽しみ方

ゐざさのふる里は奥吉野の上北山村。奈良吉野と言えば「桜」という土地柄を生かし、この時期だけの限定品として、春を感じさせる素材を使用し、 吉野山の桜をお寿司で表現致しました。
淡白な真鯛には白胡麻と生姜でアクセント、 えびには五目の具材で旨みをプラス、 竹の子とさよりには白胡麻で香ばしさを、 旨みの豊かなさけはプレーンに。 様々な味わいを桜葉の香りと共に お召し上がりください。

コラム『吉野山の桜』

 古来より日本一の桜の名所として知られる吉野山。 吉野山とは、大峯連山の北の端から、南に約8km続く尾根一帯を指します。 また大峯信仰登山の根拠地でもあり、修験道の霊場とされてきました。霊場「吉野・大峯」と「熊野三山」を結ぶ修行の道は「大峯奥駈道」と呼ばれ、今日でも修行が行われています。

吉野の桜

 吉野山は全国的に桜の名所として有名で、一目千本と言われ下、中、上、奥千本と4月の上旬から中旬にかけて3万本ともいわれるシロヤマザクラが豪華絢爛に咲きみだれます。

 しかし、みなさんはなぜ吉野山にこれほど多くの桜が植えられたかご存知でしょうか。 日本全国の多くの桜の名所では、近代になってから桜並木を整備したり、古くからある古木を大切に保護したり、いわゆる「花見」のために桜を植栽・管理しています。 しかし、吉野の桜はそれらのものとは異なり、「花見」のためではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきました。

吉野の桜_奥千本

 その起源は今から約1300年前にさかのぼります。その当時は、山々には神が宿るとされ、吉野は神仙の住む理想郷として認識されていました。のちに修験道の開祖と呼ばれる役小角(役行者)は、山上ヶ岳に深く分け入り、一千日の難行苦行の果てに憤怒の形相もおそろしい蔵王権現を感得し、その尊像こそ濁世の民衆を救うものだとして桜の木に刻み、これを山上ヶ岳と吉野山に祀ったとされています。その後、役行者の神秘的な伝承と修験道が盛行するにつれて、本尊を刻んだ「桜」こそ「御神木」としてふさわしいとされ、またそれと同時に蔵王権現を本尊とする金峯山寺への参詣もさかんになり、御神木の献木という行為によって植え続けられ、山を覆いつくすほどになりました。

吉野の桜

 吉野での花見といえば、豊太閤秀吉の花見を抜きには語れません。秀吉が、絶頂の勢力を誇った文禄3(1594)年、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れた事があまりにも有名です。

他にも役行者(役小角)を開祖とする修験道の寺や、南朝ゆかりの史跡、源義経ゆかりの地や、西行や芭蕉が逍遙した文学の史跡など、歴史的な場所が数多く見られます。

奥吉野の桜

 2004年7月、吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコの世界遺産に認定されました。 吉野山は山全体が世界遺産として登録されており、吉野水分神社・金峯神社・金峯山寺・吉水神社などの世界遺産の建造物を徒歩で回れることも魅力で、その当時の面影を残す悠久の里です。日本一ともいわれる美しい桜を愛でるのはもちろんのこと、今も脈々と伝えられる歴史や文化を通して遠い昔に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。