01.すしのルーツは、東南アジア【お寿司のルーツ】

柿の葉寿司のこと

◆東南アジアから伝来した「すし」

「すし」の原型は、紀元前の東南アジア、特にタイの東北部やミャンマーなどの平野部で、稲作とともに成立した魚の保存食である。それが今の定説となっています。

では、日本でいつから「すし」が食べられていたのでしょうか。

8世紀中頃に出された「養老令」には既に「すし」の記述があるため、少なくとも奈良時代には「すし」が、中国を経て日本に伝わったと考えられます。
稲作文化の伝来は、縄文時代の終わり~弥生時代とされているので、そのあたりまでさかのぼることができるかもしれません。

◆「すし」は魚の漬物だった

とはいえ、そのころに食べられていた「すし」は今私たちが知っているものとは異なっていたようです。

そもそも「すし」は、川魚などを保存するための知恵として生まれました。コイやフナなどに米飯と塩を混ぜて、重石を置き、数ヶ月から数年かけて、熟成させる。
すると川魚のたんぱく質が乳酸発酵して酸っぱくなり、独特のうま味が出ました。こうして発酵させたものは、長期間の保存が効いたのです。この場合、ご飯はどろどろになってしまうので、魚だけを食べました。いわば魚の漬物、<なれずし>です。

中国雲南省南部の少数民族地域や、タイの東北部では、いまもこの形のなれずしが作られ、市場でも売られているそうです。この地域では日本と同じように、納豆や魚醤をつくる習慣があるそうで、文化的にも共通項が色々と見られます。

日本でこうした古いすしの原型をいまも残しているのは、滋賀県の名産「フナずし」。塩漬けした子持ちフナにご飯を詰めて、樽に1年ほど漬けこんでつくりますが、やはりご飯は除いて、魚だけを食べます。酒の肴にぴったりな独特の匂いと風味の食品で、1000年以上前からつくられ、当時の朝廷にも特産物として貢納されていました。

10世紀(平安時代の中期)に制定された「延喜式」には、西日本各地の特産品として、さまざまな<なれずし>が記載されています。

アユずし、フナずし、サケずし、アメノウオずし、猪ずし、鹿ずしなどがあげられており、この時代になると漬ける「ネタ」の種類が増え、獣の肉などにも応用されるようになったことがうかがえます。

これらは朝廷に納められ、貴族や、高級官吏の手にも分けられたそうです。やがて地方の役人も口にするようになり、しだいに庶民にも広がりましたが、室町時代頃まで、「すし」は魚の漬物であったのです。

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