03. <早ずし>の誕生【お寿司のルーツ】

柿の葉寿司のこと

◆お酢を使って手早く

今、「すし」をつくるのに欠かせない酢。それ自体は古くからありましたが、庶民の間に調味料として広まったのは江戸中期と考えられています。

酢を使えば、手早くすぐに酸味を効かせたご飯がつくれるため、その頃から、すしにも酢が使われ始められました。

1700年頃になると、江戸や京、大坂に「すし屋」が登場します。この時代のすしは、箱に酢飯をつめ、その上に魚介類を乗せて落し蓋をし、重石を置いて数時間後に食べるというもの。これは、<早ずし>と言われました。今のように酢を混ぜ込むのではなく、上から酢を振り込む方法だったそうです。

この頃、「箱ずし」「巻きずし」「いなりずし」など今でも愛されているおすしが次々と生まれました。

◆江戸前の「にぎり」、上方の「押しずし」

酢が使われるようになったことで、すしは更なる進化を遂げました。

江戸後期になると、江戸の街では京や大坂とは違う江戸独自の文化が生まれました。人口100万人の大都会・江戸には単身の男性が多かったと言われており、手軽に食べられる蕎麦やてんぷらなどの屋台が大流行。すしも屋台で売られるようになり、手軽に食べられるようになります。

そこで誕生したのが、手で握った酢飯に、江戸湾で獲れた新鮮な魚介類をそのまま載せる<にぎりずし>です。江戸湾の魚介類を使うので「江戸前ずし」と呼ばれました。

ネタは、エビ、コハダ、サヨリ、キス、アワビなどバラエティに富んだもの。今は人気のマグロは、あまりランクの高いネタではありませんでした。

冷蔵装置のない時代です。新鮮とは言えども、初期の<にぎりずし>のネタは、火を通したり、ズケにしたり、酢でしめたり、必ず下処理を施したといいます。今も江戸前ずしに、下仕事を丁寧にしたすしがあるのは、その伝統を受け継いでいるのです。

手早くつくれ、すぐに食べられる<にぎりずし>は、江戸っ子たちの気風に合ったのでしょう。各町内に、1~2軒のすし屋があったといわれるほど、隆盛をきわめました。

この<にぎりずし>をヒットさせて大店になったのが、「華屋与兵衛」だといわれます。

江戸の街では<にぎりずし>が大変人気となりましたが、上方では、まだまだ押しずしや棒ずしが主流でした。この流れは戦前まで続きます。すし飯の味付けも、江戸前が酢と塩だけで、砂糖などの甘みを使わないのに対して、上方は「すしの飯に六分の旨さがある」というように、酢に塩、昆布、みりんを用いて“はんなり”した味を好んでいました。

ゐざさの商品「上方寿司盛合せ」
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